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千葉地方裁判所 昭和37年(ワ)46号 判決

原告 高梨清

〈外五名〉

右原告六名訴訟代理人弁護士 原山庫佳

右訴訟復代理人弁護士 小川彰

被告 今関木材株式会社

右代表者代表取締役 今関倉之助

右訴訟代理人弁護士 江尻平八郎

同 伊藤銀蔵

主文

一、被告は、

(イ)  原告高梨清に対し、金二四三、五一八円及び之に対する昭和三七年二月二七日からその支払済に至るまでの年五分の割合による金員を、

(ロ)  その余の原告等各自に対し、夫夫、一七三、五一八円及び之に対する昭和三七年二月二七日からその支払済に至るまでの年五分の割合による金員を、

夫々、支払はなければならない。

二、原告等のその余の各請求を棄却する。

三、訴訟費用は、之を五分し、その二を原告等の連帯負担、その余を被告の負担とする。

四、本判決は、原告等に於て、被告に対する共同の担保として、金三〇〇、〇〇〇円を供託するときは、第一項について、仮に、之を執行することが出来る。

事実

≪省略≫

理由

一、訴外高梨金蔵が、昭和三六年二月六日午前八時頃、千葉市太田町七七番地先の国道(通称東金街道)上に於て、訴外高見世好雄の運転する原告等主張の自動車と衝突したこと、及び右訴外金蔵が、同月一一日午前九時十分、千葉大学医学部附属病院に於て、死亡したことは、共に、当事者間に争のないところである。

二、而して、右事実と≪証拠省略≫とを綜合すると、右訴外金蔵は、前記衝突事故によって、頭部打撲傷、骨盤骨折、及び軟部組織の高度挫滅傷を受け、その結果、急性腎不全による尿毒症と心不全とを併発し、遂に、死亡するに至ったことが認められ、この認定を動かすに足りる証拠はないのであるから、右訴外金蔵は、右衝突事故によって傷害を受けた結果、死亡するに至ったものであると認定せざるを得ないものである。

被告は、右衝突事故と右訴外金蔵の死亡との間に相当因果がない旨を主張して居るのであるが、事実関係は、右の通りであって、その死亡の直接且源初的原因は、結局、右衝突事故にあると云はざるを得ないものであるから、被告の右主張は理由がないので、之を排斥する。

三、然るところ、被告は、右事故によって生じた結果について、その責任負担の義務のあることを争って居るので、審按するに、右衝突事故を引起した際に、前記自動車を運転して居た前記訴外高見世好雄が、被告会社に雇はれて居たその従業員たる自動車運転者であったこと、及び右事故を引起した右自動車が被告会社の所有であって、被告会社がその運行の用に供して居たものであることは、共に、当事者間に争がなく、而して、≪証拠省略≫を綜合すると、右訴外高見世は、右事故の発生した日の前日、被告会社社長今関倉之助が、養老渓谷で開催された同窓会に出席する為め、同社長の命によって、養老渓谷まで往復し、帰社が遅くなって、交通機関もなくなって居たので、同社長の許可を得て、右自動車を使用して、帰宅し、翌朝、同車を使用運転して出勤し、その途中に於て、前記衝突事故を引起したものであることが認められ、この認定を動かすに足りる証拠はなく、而して、自動車の保有者が、その運行の結果について責任を負担するに至る前提要件は、保有者が、その保有する自動車に対して、直接の管理関係を有することを必要とすると解されるものであり、又、従業員による自動車の運行は、従業員が、その地位に於て、之を為すものであって、その地位は、保有者に従属し、従って、従業員の自動車に対する管理関係は、法律上、当然に、保有者のそれに包含せられ、その管理関係を保有者のそれから離脱せしめる特段の事情のない限り、独立の管理関係は、之を持つことのないものであると解されるものであるところ、右認定の事実によると、被告会社は、前記自動車の保有者であって、それに対する直接の管理関係を有し、又、前記訴外高見世は、被告会社の従業員たる運転者であって、右自動車に対するその管理関係は、被告会社のそれに包含されて居るものであること、及び前記事故当日に於ける右訴外人の右自動車の使用運転は、被告会社の社長の許可を得たそれであって、その管理関係は、被告会社のそれを離脱して居なかったものであることが認められるので、前記事故発生当時に於ける前記自動車に対する管理関係は、被告会社のそれから離脱して居なかったものであると云ふべく、従って、右事故発生当時に於けるその運行は、被告会社の管理下に於けるそれであると云はざるを得ないものであり、然る以上、右事故発生の当時に於ける右自動車の運行は、被告会社の為めに為されたそれであると判定せざるを得ないものであるから、被告会社は、右自動車の保有者として、右事故によって生じた結果について、その責任を負担しなければならないものであると云はざるを得ないものである。

四、被告は、右訴外人の右自動車の使用が、被告会社からの無料貸与に基くそれであることを前提とし、斯る場合に於ては、自動車は借主の直接支配の下に置かれ、その自由意思によってその運行が為されるものであるから、右事故発生当時に於ける右自動車は、右訴外人自身の為めに為されたそれであって、被告会社の為めに為されたそれではなく、従って、被告会社に於て責任を負ふべき理由はなく、又、斯る場合に於ては、保有者は、その自動車に対し、直接の支配力を及ぼし得ないものであるから、保有者責任の前提要件を欠き、従って、被告会社は、責任主体となり得ないものであるから、保有者責任は、之を負担することのないものであると云ふ趣旨の主張を為して居るのであるが、認定し得る事実は、前記の通りであって、その事実によると、右訴外人の右自動車の使用は、それに対する管理関係の離脱の原因となるところの、独立権限の付与たる貸借に基くものではなくして、管理関係には何等の影響をも及ぼすことのない単なる使用の許可に基くそれに過ぎないものであることが明かであって、被告の右主張は、その前提に於て、既に、理由のないものであるから、孰れも、之を排斥する。

五、更に、被告は、前記事故は、被害者の過失によって発生したものであって、前記自動車を運転して居た前記訴外高見世には全然過失がなかったのであるから、被告会社は、前記事故によって生じた結果について、責任を負ふことのないものであると云ふ趣旨の主張を為し、その主張は、自動車損害賠償保障法第三条但書の免責事由の存在することの主張であると解されるのであるが、証拠調の結果によると、右自動車に構造上の欠陥又は機能の障害のなかったことが認められるけれども、運転者である右訴外人の無過失であることは、之を認めるに足りる証拠がないのであるから、その点についての証明はないものであると云ふ外はなく、従って、被害者に過失があっても、免責されることはないのであるから、被告の右主張は、理由がないことに帰着し、又、被告は、前記事故と被害者の死亡との間には相当因果がないから、被害者の死亡によって生じた結果については、被告会社に責任がない旨を主張して居るのであるが、右事故と被害者の死亡との間に直接の因果関係があることは、前記認定の通りであって、被告の右主張も亦理由がないから、被告の右各主張は、孰れも、之を排斥する。

六、而して、

(イ)、右訴外金蔵が、前記衝突事故によって受けた傷害治療の為め、千葉大学医学部附属病院に入院治療を受け、その費用として、原告清が、合計金三八、三八五円の支払を為し、又、右訴外金蔵の死亡によって、原告清が、その葬儀を行ひ、その費用として、合計金四七、七四五円の支払を為し、之に因って、原告清が、合計金八六、一三〇円の損害を蒙ったことは、≪証拠省略≫を綜合して、之を認定することが出来、この認定を動かすに足りる証拠はなく、

(ロ)、又、≪証拠省略≫を綜合すると、前記訴外金蔵は、その家族を手伝はせて、農業を専業とし、水田六反歩、畑七反歩を耕作し、平均年間、米五五俵、大麦五俵、小麦三〇俵、甘藷三〇〇俵(但し、一俵一〇貫入り)、落花生三五〇貫の収穫を得て居たこと、収穫米五五俵の内、一四俵は、自家用の飯米として、之を保有し、内二一俵は、割当によって、之を供出し、残二〇俵は、自由米として、之を売却して居たこと、その余の収穫物は、全部、之を売却して居たこと、昭和三五年度に於ける供出米の価格は、二等米一俵金四、七三八円、三等米一俵金四、六五〇円、自由米の価格は一俵金四、四〇〇円であって、供出米中、六俵は二等米、一五俵は三等米であったこと、同年度に於ける大麦の価格は一俵金一、七〇〇円、同小麦の価格は一俵金二、三一八円、同甘藷の価格は一俵(但し、一〇貫入り)金一八〇円、落花生の価格は一貫匁金三〇〇円であったこと、従って、同年度に於て、それ等の収穫物を供出、売却して得た総額は、合計金四二三、二一八円であったこと、又、同年度に於ける農業経営の必要経費としては、田畑の肥料代金として、金四五、〇〇〇円、農機具費、油代等として、金二〇、〇〇〇円、薬剤代金、税金、その他の費用として、金二〇、〇〇〇円、合計金八五、〇〇〇円を支出したこと、従って、同年度に於ける農業経営の必要費は合計金八五、〇〇〇円であったことが認められ、以上の認定を動かすに足りる証拠はないのであるから、昭和三五年度に於ける収益は、差引金三三八、二一八円となるものであり、而して、右に認定の事実と前顕証人の証言及び原告本人の供述と当裁判所に顕著な事実であるところの千葉県下に於ける現在の農業収益状況とを綜合すると、右訴外金蔵が生存して居たならば、例年右認定の程度の収益は、之を挙げ得たものであると認められるので、同訴外人が将来に於て挙げ得た年間収益額は、右認定の額であると認定し得るものであり、而して、≪証拠省略≫によると、右訴外金蔵及びその家族の生活費及びその他の費用は、飯米を除き、(前記自家保有米は、自家に於て使消する飯米であって、収益には計上しなかったものであるから、生活費にも之を計上しない)、月額金一四、〇〇〇円程度であったと認められ、この認定を動かすに足りる証拠はないので、月額金一四、〇〇〇円と認定すべく、従って、その年間の生活費等は、合計金一六八、〇〇〇円であり、而して、当裁判所に顕著な事実であるところの千葉県下に於ける現在の農家の生活状態に照すと、飯米を除くその余の生活費等は、この程度であると認められるので、将来に於ける生活費等は、右額であると認定し得るものであり、従って、右訴外金蔵の年間純収益額は、その差額である金一七〇、二一八円となるものであり、而して、右訴外金蔵が、その死亡の当時、満六五歳であったことは、当事者間に争がなく、而して、満六五歳の男子の平均余命が約一一年であることは、公知の事実であり、又、≪証拠省略≫によると、右訴外人は身体が頑健で、病気などはしたことがなく、死亡の直前まで、原告清等成年男子と同様に稼働して居たことが認められ、この認定を動かすに足りる証拠はなく、而して、この事実によると、右訴外金蔵は、爾後、五年間は、従前と同様に稼働することが出来るものであると認定するのが相当であり、而して、その後に於ては、一般の老年者の稼働力の減退状況に照し、従前の半分程度に、その稼働力が減退するに至るものであると認めるのが相当であり、従って、余命一一年間に於て、八年間は、従前と同様に稼働し得るものであると認定するのが相当であると云ふべく、従って、その間に於て、得べかりし純収益額は、合計金一、三六一、七四四円となるものであるところ、右訴外人は、その死亡によって、右得べかりし利益を失ったことになるものであるから、之によって、右と同額の損害を蒙るに至ったものであり、而して、ホフマン式計算方法により、年五分の中間利息を控除して、之を現在額に引直すと、その額は、金八七八、五四四円となるものであり、而して、原告等が、孰れも、右訴外人金蔵の子であることは、当事者間に争がないのであるから、原告等は、各自、その六分の一宛を相続したことになるものであり、従って、原告等は、各自金一四六、四二四円宛の権利を承継取得したものであり、

(ハ)、而して、原告等が、右訴外金蔵の死亡によって、精神上の苦痛を蒙ったことは、多言を要しないところであって、その慰藉料の額は、本件に現はれた証拠によって認められるところの諸般の事情を考慮し、尚、特に、原告清については、同人が、一人家に残り、父である右訴外金蔵と共に、家業である農業に従事し、同訴外人の死亡後は、その家業を承継し、その葬儀も、同人に於て、之を執行したことを斟酌し、原告清については、金三〇〇、〇〇〇円その余の原告等については、各自、金二〇〇、〇〇〇円と算定するのが相当であると認める。

七、然るところ、被告は、前記入院治療費及び葬儀費は、共に、その全額の支払を了して居り、又、自動車事故によって生じた損害賠償保障法による補償金の支払を受けることによって、消滅に帰するものであるところ、原告等は、右法による補償金の支払を受けたものであるから、本件事故によって生じた損害賠償請求権は、それによって、全部、消滅に帰したものである旨を主張して居るのであるが、右入院治療費及び葬儀費について、被告がその支払を為した事実のあることを認めるに足りる証拠はなく、又、前記法による補償金の支払は、その支払の為された額の限度に於て、請求権を消滅せしめるに過ぎないものであって、請求権の全額を消滅せしめるものではなく、従って、被告の右各主張は、孰れも、理由がないから、之を排斥する。

八、更に、被告は、前記事故の発生については、被害者にも過失があったのであるから、過失相殺が為さるべきである旨を主張して居るので、按ずるに、≪証拠省略≫を綜合すると、本件事故現場に於ける道路その他の状況は、別紙見取図々示の通りであって、国道は、舗装されて居て、東西に通じ、右現場附近に於ては、東方から西方に少しく傾斜して、ゆるい下り坂状となって居り、見通しは、現場附近一帯にかけて、極めて良好であること、又、右国道には、右現場附近の右見取図々示の位置に於て、右国道から南方々面に通ずる舗装されて居ない道路が接続して居る為め、右現場附近の道路は、右両道路によって、T字型交差路となって居ること、而して、国道は舗装されて居り、之と接続する他の道路は舗装されて居ない為め、国道の舗装面は、右他の道路面より少しく高く、その結果、右両道路の路面は、その接続線に於て、若干の断層状の高低を為して居ること、而して、本件事故発生当時に於ては、右T字路附近の国道上に、二ヶ所の横断歩道標識が設けられて居たが、交通整理などは行はれて居なかったこと、而して、本件事故当日は、雨天であった為め、国道の路面が雨でぬれて居て、自動車などがスリップし易い状態にあったこと、又、本件事故当時に於て、現場附近の国道を通行して居た車輛は、前記訴外高見世の運転して居た前記自動車のみであって、他に通行中の車輛はなく、国道を通行して居る人は、被害者一人のみであり、右T字路の他の道路には、通行中の人も車輛もなく、従って、右訴外人は、適宜、自由に自動車を運転して、危険を未然に防止し得る状況にあったものであること、而して、右自動車を運転して居た右訴外人は、平素右国道を通行して居て、本件事故現場附近がT字路を為して居て、その附近の国道上には、横断歩道標識があって、横断歩行者のあることを知って居たこと、又、右T字路に於ては、前記の通り、交通整理が行はれて居らず、この様な場合に、横断歩行者があるときは、法の規定によって、その歩行者の道路横断を妨げてはならないことが定められて居ることを、知悉して居たものであること、而して、被害者である前記訴外金蔵は、右T字路北側の右見取図々示の位置にある訴外湯浅まさ方で、買物をした後、同人方を立出で、右T字路の南方々面に通ずる道路を通って自宅に帰る為め、国道を横断しようとして、同人方前の右見取図々示の位置にある(チ)点附近から、国道上に歩き出し、一方、前記訴外高見世は、前記自動車を運転して、時速約四〇キロの速度で、前記国道を西進し、本件事故現場手前附近まで進行して来たところ、右国道は、前記の通り、本件事故現場手前附近から西方に少しく下り坂になって居るので、右見取図々示の位置にある(イ)点のやや手前附近から、速度を時速三〇キロに減速して進行し、右見取図々示の位置にある(ロ)点附近に達したとき、前記訴外湯浅方前から、国道を横断しようとして、国道上に歩き出した被害者を発見したのであるが、距離も若干あるので、危険はあるまいと判断し、そのまま進行し、一方、右国道横断の為め歩き出した被害者は、右見取図々示の位置にある(I)点附近で、立停る様子に見えたので、訴外高見世は、被害者は、右の位置で、停止して居るであらうから、そのまま進行しても、被害者の前方を危険なく通過出来るものと思料し、右見取図々示の位置にある(ハ)点附近で、ハンドルを少しく左に切って、右自動車を国道の左側一パイに寄せた上、進行を継続したところ、被害者は、その予想に反し、横断の歩行を継続したので、危険を感じ、右見取図図示の位置にある(ニ)点附近で、急停車の処置をとり、同時に、ハンドルを右に切ったのであるが、自動車を国道の左側に寄せ過ぎて居た為め、左側車輪は、T字路の南方方面に通ずる道路と国道との接続線上にある断層の下に落ち、その為め、ハンドルは右に切ったものの、自動車は、右側に方向を転換せず、一方、国道の路面は、前記の通り、雨にぬれて居て、スリップし易い状態にあったので、自動車は、停止せずして、そのまま、スリップして、進行し、その結果、右見取図々示の位置にある(G)点附近で、自動車の前方左側附近を、被害者に接触衝突せしめて、被害者をはね飛ばし、之を右見取図々示の位置にある(ト)附近に転倒せしめるに至ったこと、尚、被害者は、右国道を横断するに際し、横断歩道を通行しないで、それ以外の部分を通行したこと、が認められ、以上の認定を動かすに足りる証拠はなく、而して、以上に認定の事実によって、之を観ると、本件の様な場合に於ては、横断歩行者優先通行の原則が、法的に認められて居るのであって、車輛の運転者は、その業務上、当然に、この原則に従ふべき義務があるのであるから、右自動車を運転した前記訴外高見世は、横断歩行者である被害者を先づ横断せしめる処置をとらねばならなかったものであり、而して、そのとるべき処置は、本件の場合に於ては、要するに、被害者の横断を終らせる為めに、その運転する自動車の進行を一時停止せしめるか、若くは最徐行するかしさへすれば、事足りたものであり、而も、それを為すことが、極めて、容易な状況にあったことは、前記認定の事実に照し、明白なところであり、而して、右何れかの処置をとれば本件事故の発生は、容易に、未然に於て、之を防止し得たものであることが明白であり、然るに拘らず、右訴外高見世は、右何れの処置をもとらず、前記認定の通り、運転して、本件事故を発生せしめるに至ったのであるから、本件事故の発生については、右訴外高見世に重大な過失があったものであると認定せざるを得ないものであり、のみならず、当日は、前記認定の通り、雨天で、国道の路面は、雨にぬれて居て、スリップし易い状況にあったものであって、右訴外高見世は、十分にこの状況を認識して居た筈であると認められると共に、本件事故発生当時、その事故現場を通行して居た人及び車輛は、前記認定の通り、被害者と右訴外高見世の運転する自動車のみであって、同訴外人は、危険を未然に防止する為め、適宜に、自在な処置をとり得る状況にあったものと認められるに拘らず、何等の処置をもとらずして、前記認定の通り、その運転を為したものであるから、その過失の度合は、一段と重いものであると云はざるを得ないものであり、而して、本件の様な場合に於ては、前記の通り、横断歩行者優先通行の原則が法的に認められて居るのであるから、その原則が守られてさへ居れば、危険の発生は、当然に、その未然に於て、防止され得ることになるのであるが、その原則は、あくまでも規範であって、従って、時に、それを破る者のあることは、当然の事理であり、而して、その様な者のある場合に於ては、自然、危険発生の蓋然性の多いことは、之亦当然であると云ふべく、従って、右原則に違反して、進行する自動車の場合に、その自動車に近づくことは、危険に近づくことであり、そして、その結果、危険が発生するに至った場合に於ては、その者は、その危険の発生に加工したものであると云ふことの出来るものであり、従って、その者に過失あるときは、仮令、優先通行権ある者であっても、過失があると判定せざるを得ないものであるところ、前記認定の事実によって、之を見ると、被害者は、前記自動車の進行して来るのを知りながら、国道の横断歩行を為したものであると認められるのであって、このことは、前記訴外高見世が、前記原則を無視して運転して居る自動車に、即ち危険発生の蓋然性の多い自動車に、それとは知らずして、近づいたことを意味し、このことは、更に、過失によって、危険に近づいたものであると解することが出来るものであるところ、前記認定の事実によると、その近づいたことによって、本件危険が発生するに至ったものであると認め得るから、被害者は、過失によって、本件事故の発生に加工したものであると云ふべく、従って、被害者にも、右の点に於て、過失があったものと認定するのが相当であると云ふべく、又、道路の通行に於ける危険防止の義務は、歩行者も亦之を負担して居るものであると解せられるので、歩行者に於て、危険防止の処置をとり得る余地があるに拘らず、その処置をとらず、その結果、危険が発生した場合に於ては、歩行者にも過失があると云ふことの出来るものであるところ、前記認定の事実によると、被害者に於て、一時停止すれば、本件事故の発生は、当然に、その未然に於て、防止し得たものであると認められるところ、前記認定の事実によると、被害者は、前記自動車が進行して来ることを認識して居たことが認められ、従って、右自動車を通過させる為め、国道の横断を一時停止し得たものであると云ふべく、然るに拘らず、それを為さないで、国道の横断を為したのであるから、この点に於ても、過失があると云ひ得るものであり、従って、本件事故の発生については、被害者にも過失があると云はざるを得ないものである。故に、被害者にも過失があるから、過失相殺が為さるべきである旨の被告の主張は理由がある。

(尚、被告は、被害者が横断歩道を通行しなかったこと、又、自動車の進行して来るのを認識し、一旦、停止するかに見えたに拘らず、敢えて、自動車の進路に突入したことが、本件事故発生の直接の原因となって居るから、右の点は、共に、被害者の過失となるものであると云ふ趣旨の主張を為して居ると解せられるのであるが、自動車の運転者である訴外高見世が横断歩行者優先通行の原則を無視したことが事故発生の原因となって居ることは、前記認定の事実によって、明かであるから、被害者が横断歩道を通行しなかったこと自体は、過失とならないものであり、又、横断歩行者は、右優先原則によって、当然、自動車の進行に優先して通行し得るものであるから、自動車の進行して来るのを認識して、横断しても、自動車の進路に突入したことにはならず、従って、そのこと自体は、被害者の過失とはならず、唯、過失によって、危険に近づいたことが過失となるに過ぎないものであるから、被告の右各主張は、共に、理由がないことに帰着するものである)。

九、併しながら、入院治療費及び葬儀費については、諸般の事情に照し、過失相殺を為さないのが相当であると認められるので、右の点については、過失相殺は、之を為さない。仍て、その余の点について、過失相殺を為す為め、責任分担の割合について按ずるに、前記認定の事実と自動車の運転者及び被害者の各過失について、前記認定の各事情のあることとを綜合して、考察すると、その責任分担の割合は、被害者に於て一〇分の三、保有者たる被告に於て一〇分の七と定めるのが相当であると認められるので、責任分担の割合は、右の通り、之を定める。

而して、右割合によると、被告に於て支払の責任ある額は、原告清に対し、入院治療費及び葬儀費を除き、金三一二、四九六円、その余の原告等に対し、各自、金二四二、四九六円宛となるものである。

一〇、而して、原告等が、自動車損害賠償保障法による補償金五〇〇、〇〇〇円の支払を受けたことは、当事者間に争のないところであり、而して、その充当関係は、その補償金の性質自体に照し、先づ、入院治療費及び葬儀費に充当するのが相当であると認められるので、先づ、之に充当すると、その残額は、金四一三、八七〇円となるところ、これは、原告等各自に等分に分配し、之を各自について、充当するのが相当であるから、之を六分し、各自について、それを充当すると、原告清の残額は金二四三、五一八円、その余の原告等の残額は各自金一七三、五一八円となるので、被告に於て、原告等に対し、支払を為すべき額は、夫々、右の額となるものである。

一一、而して、本件訴状が被告に送達された日が昭和三七年二月二六日であることは、当裁判所に顕著な事実であるから、その翌日は、同月二七日である。

一二、以上の次第であるから、原告清の請求中、被告に対し、金二四三、五一八円及び之に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和三七年二月二七日からその支払済に至るまでの民法所定の年五分の割合による損害金の支払を命ずる判決を求める部分、及びその余の原告等の請求中、被告に対し、原告各自に、金一七三、五一八円宛及び之に対する右の日からその支払済に至るまでの右と同一の割合による損害金の支払を求める部分は、孰れも、正当であるが、その余は、孰れも、その支払を求め得ないから、原告等のその余の各請求は、孰れも、失当である。

一三、仍て、原告等の各請求は、前記各正当なる部分のみを認容し、その余は、孰れも、之を棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行について、同法第一九六条を、各適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 田中正一)

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